■50号ゆしま・この人

 
 
 

 
   

湯島に人間国宝誕生! 菅公一千百年大祭のこの年、湯島にとびっきりの明るいニュースが伝えられました。湯島に生まれ育ち、現在も湯島天神の男坂下に暮らす、生粋の湯島っ子、講談師の一龍斎貞水師匠の重要無形文化財保持者の答申が発表されたのが六月二十一日、そして官報に告示され、正式に認証されたのが七月八日。
 「そりゃあ驚きましたよ。内示の電話があって、公になるまでは箝口令ですし、二十一日になった途端、取材の電話が殺到して女房が舞い上がっちゃって」と、貞水師匠。
 古典芸能のなかでも、いわゆる大衆芸能と呼ばれる落語界では故柳家小さん師匠、桂米朝師匠が人間国宝になっているが、講談界では、今回の貞水師匠が初めて。今春から講談協会会長を務めているだけに、「私自身の芸というよりも、講談という芸能が認められたことが嬉しい」と謙虚に語る。湯島育ちの師匠にとって、講談定席で当時隆盛をきわめた上野の本牧亭はいわば「自分の庭」。高校在学中に父親の親友に講談組合の頭取がいた関係で楽屋に出入りしているうちに、居ついちゃって先代の一龍斎貞丈に入門。以来、講談ひとすじ。
 「講談と落語の笑いは全然違います。駄洒落とかではなく、講談は語りのなかに笑いを誘います。語ることが芸なんです。その語りがようやくできるようになり、それに磨きをかけるのが六〇代、そういう意味じゃ、私なんかもこれからなんです」と、芸歴四十七年、六十三歳の師匠は語る。
 みなさんご存知のように、師匠のおはこは怪談噺。
 「人物描写や間(ま)のとりかたといった、語りにとってきわめて重要な基礎が怪談噺には詰まってるんですよ。しかも話もおもしろい。初めて講談を聞く人にはもってこいの噺なんですよ」


 

 

 今はない本牧亭時代に、キラ星のごとくいた先輩、兄弟子、名人、個性豊かな講談師……その芸を楽屋にいて身近に聞けるだけでも、大変な勉強であり、のちの財産になった。修業についても同じ。「楽屋の修業は、自分の芸をつくるためのもので、決して先輩のためのものではないはず」と貞水師匠は言い切る。
 「定席がない今日、確かに若い人には修業する場がないかもしれない。楽屋修業だって昔ほど厳しく言う師匠も多くいませんし、そういう意味では仕方ない面もあるかもしれません。私はいわば楽屋で育ちましたから、その体にしみついた講談のにおいを、せめて若い人に伝えられればと思っています」
 その言葉の裏には、芸は教えるものではない、盗むものだという、芸人なら当たり前の考えがある。
 「だから、僕自身も、別に人間国宝になったからって芸が完成したなんて、もちろん思っていません。年を取ろうが芸一生、自分の語りをするだけで、偉大なる未完成≠フままでもいいじゃありませんか。前向きの心をお客様や後進にお見せできれば」と言う。
 

 

 ところで、生まれ育った町、湯島については、「立ち話の多い町、でしょうね。とにかく話好き、ちょっと歩いても、必ずどなたかに声を掛けられる、その間合いもまたいいんですね。ある意味、この町に育ったから、私は講談ができたと思ってるんです」
 そして、いわゆる「高座」の始まりは、湯島天満宮の境内がルーツ、と貞水師匠は言う。もともとは寺社で僧が説教するための一段高く設けた席を高座といったが、それを昔の講談師が境内に講釈の席として用いた、その始まりが湯島天満宮だという。
 「天満宮にいろいろな石碑や顕彰碑がありますけど、講釈碑≠ェあってもおかしくないんですよ(笑)」
 ともあれ、湯島に生まれ育ったこと、本牧亭が近くにあったこと、師匠に恵まれたこと……いろいろなおかげで、今回の重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定。秋には地元の有志による祝賀会も計画されている。
 その至芸に拍手喝采! いつまでも講談界のために汗を流してください。おめでとうございます。

 
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(50号掲載)