| ■50号写された湯島 その三七 |
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賑わいを描いた錦絵 (風俗画報増刊号) |
| 菅原道真公は、生涯を通じて二十五という数字には特に御縁があった。承和十二(八四五)年六月二十五日に御生まれになり、幼少から英才を以って知られ、三十三歳で文章博士に、その後、蔵人頭から構大納言、右近衛大将まで出世された。時の権勢を誇った藤原氏のねたむところになり、談されて九州大宰府に流されたのが、昌泰四年正月二十五日、その後延喜三年二月二十五日に五十九歳の生涯を終えられた。 以後、藤原道真公を祀る天神様では、御縁日を二十五日と定めている。その二十五年を幾つも重ねる度ごとに、特別に大祭の儀を以って、菅公の御霊をおなだめ申し上げて来た。 今から百年前の明治三十五年には、菅公をお祀りして一千年に当たったので、全国規模で未曽有の大祭をとり行った。 当時は明治の時代のこととて小学校においても、天神様の式典には数千人の生徒が社前に参拝した。学問の神様である天神様へは先生も生徒もこぞって参詣した。
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| 明治時代に著名な『風俗画報』では臨時増刊として「菅原大神千年大祭図会」を刊行した。 それによると、この年の大祭は四月中に行われた。湯島天神、櫻木天神、亀戸天神、北野天神、五條天神など東京内の二十五天神でも大祭が行われた。中でも湯島天神の盛大なお祭りの様子は、『風俗画報』に彩色刷りの口絵や写真で全国的に発表された。 とりわけ氏子各町では第一番から第十二番まで山車を拵えて、切通坂に整列して、御本社を参拝して氏子各町を練り、正午には松住町の神田川の河岸で昼食をとり、以後各町で解散したという。 今から百年前、菅原大神ミレニアムの様子を、本号では編集して御覧に入れることにした。 |
![]() ▲善男善女で溢れる男坂 |
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(50号掲載) |