第73回(5月号)工芸の郷・楊家ふ                   (ふは、土ヘンに阜)

文・写真:田 端 克 敏  絵:田 端 道 子


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 済南と青島との間にい坊(いは、さんずいに維)という町がある。い坊から車で20分ほどのところに「楊家ふ」という小さな集落があって、そこは知る人ぞ知る工芸の故郷である。

 山東省は中国文明の最古の地と言ってよく、伝説上で知られていた夏王朝の存在が、い坊の近くでの発掘物によって確認されて俄然現実味を帯びてきた。夏は紀元前21世紀の王朝であったといわれる。また、春秋戦国時代(紀元前770〜221)西周の時代に、この地に斉と魯が分封されて経済・文化が大いに奮った。

 その伝統が受け継がれたのか、山東省にはさまざまな工芸文物が今でも各地で盛んに行われている。絨毯や陶器はさほど名が知られていないものの、しっかりしたものが結構格安に作られているし、「紅木」といわれるワインレッドの自然色をした木で作られる家具なども人気がある。また、地味が豊かなために、山東省の農産物は中国で名が知られていて、煙台のりんご、莱陽の梨、徳州の西瓜、莱蕪の生姜、龍口のはるさめなど、生産地の名が冠せられた産物は数限りない。落花生や麦は中国一の生産を誇るし、蔬菜などは北京の台所といわれる位の量をまかなっている。


(絵:楊家ふ年画)
 話が広がってしまったが、本題は楊家ふの工芸品のことであった。

 楊家ふの名を知らしめているのが「凧」と「年画」である。ここでは村民の3分の1が凧作りにかかわり、残りの全戸が年画を作っているといわれる。話半分としてもこれはすごいことである。もちろん一応農村のかたちだから、畑もあれば牛や馬も見かけるのだが、見かける人、すれ違う人が皆ひとかどの工人に見えてしまうからおもしろい。

 中国人の凧狂いは半端ではない。どこの地を訪れても、年中時期や時間を問わず凧を揚げている人たちを見かける。それも老若男女を問わない。空に向かって糸を引いているので何をしているのだろう、と見上げるとはるか点になるくらい高く遠くに凧がある。これを日がな一日やっていても飽きることがないと彼らは「凧狂」を自認する。たしかに中国が広いと思えるのは、これらの凧が群舞するだだっ広い空間がどこにもあると感じるときである。中国では江蘇省南通、北京、天津とここい坊とが「四大凧」の産地として有名である。

 狭い凧工場では結構多くの人たちがそれぞれの分野に分かれて仕事をしている。凧の骨を削るもの、組み立てるもの、紙を裁断するもの、それに絵を描くもの、糸目をつけるおばあさん、それを微調整する中年男…

 凧の種類も多く、その絵柄が動物、昆虫、ひとがた、植物、想像上のものなどさまざまだが、決してやみくもに数を増やしているわけではない。

 例えば燕は幸運・長寿をもたらし、鳩は和平を、鳳凰は元来吉祥の象徴である。また発音の近似・転化の上から鶏は「ジィ」という音が吉の「ジィ」を思わせ、蝙蝠の「ビエンフー」は音の近い「変福」となって福に転化する意がある。蝉は幼虫・さなぎ・成虫と変化するところから不滅と再生を願う心に通じるとするのである。そのほか、トンボ、蝶、カマキリ、金魚、カニ、エビ、仙人、天女、孫悟空など全てが縁起物というところが伝統王芸ならではの題材である。

 い坊市では毎年「国際凧揚げ大会」が開催されている。一度、3月末のその大会を見に行ったときは、時ならぬ荒天の日であった。

 まだ、薄暗い夜明け、畑のあぜ道を地元の人たちも外部からやってきた観光客も皆ぞろぞろと列を成して会場の小高い丘目指して歩いていく。会場といってもただだだっ広い丘の真ん中にテントが一つはってあるきりの殺風景なところだが、開始時間にはその丘が人で埋まってしまうほどの盛況である。そこで行われる凧揚げは選手のみならず一般の人たちだれでも勝手に凧を揚げていいシステムになっているらしく、誰が選手やら一般人やらわからぬごちゃごちゃ状態で無数の凧が入り乱れて揚がる。

 朝はなんとか揚がった凧が、次第に強くなった風の影響でコントロールができないほどになった。そしてその風は強烈な砂嵐と化して、見物の我々も吹き付ける砂つぶてに立っていられなくなり凧揚げ見物などの雰囲気ではなくなって、必死に小さな藪陰を求めてうずくまった。当然その日の大会は中止となった。

 年画は、中国の旧正月・春節に門を飾る縁起物として発達した。今では春節に限らず、おめでたい日に門口や入り口の扉、室内に飾り慶祝と邪気を祓うものとして根強い人気を得ている。

 絵:牡丹(道子画)

 年画の由来は古く、一般には宋代の風俗画が起源だとされる。現存する最古の年画は内蒙古で発見された宋代の「四美図」であるとされる。明代に入って版画の技法が大きな進歩を遂げ、多色刷りが採用されるようになって描かれる画題も豊富になった。

 い坊の楊家ふの他に、天津の「楊柳青」、蘇州の「桃家う」(うは土ヘンに烏)が中国三大年画の産地として有名である。それぞれ作風や色彩感覚に特色があって嗜好家も多いと聞く。私は天津の楊柳青で年画を見たが、時代を経た風格と落ち着いた色彩を強く感じた。

 楊家ふの年画は明代に発達し、清代にピークに達し、500年余に木版画1万枚以上を刷り上げている。楊家ふの年画の特徴は、地元の風土・習俗と伝統的な民間芸術の影響を受け、独特の美意識を発揮してきたことにある。郷土色が強烈で、おのずと文人画の風格とはおもむきが違っている。線質は簡潔で強く、鮮やかな色彩、鮮明なコントラスト、かなり誇張された造型などの特色があるとされる。

 画材はさまざまで、縁起物が多いのは当然だが、たとえば白木蓮の花は「永遠の春」を象徴し、瓶と鞍には「平安」の意味を込めるなど象徴性のあるものが多い。現在の製作枚数は年間2000万枚を下らず、全国にネット販売されているという。都市部に人気が高いのは、伝統的な土地柄に似合わず、常に時代とともに技法や図柄などで革新を求める姿勢が高く評価されているからだという。

 私はその工場で作られている年画を見て、数百年以前の技法を守りつつきびきびと働く人たちの喜びを身にしみて思った。

 工場を出てとその界隈をぶらりと歩いてみたが、どの家の門柱にも春聯があり年画があった。それらは日にさらされ風にあおられて色褪せ剥がれかけているものもあったが、それはとても自然で景観に溶け込んでいた。年画は元来かくあるべきものと、ひとり合点した。

         

         凧揚げの日

     あぜ道を辿れる陰の数増して丘指してゆく凧揚げを見に



         農家の門前でよめる

     花桃や賀聯褪せたる里の門


 絵:上野・不忍池風景(道子画)


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中高年の「元気が出るページ」第2回オフ会のご案内
 桜が散りツツジの季節になりました。ゴルデンウィークはどのようにご計画ですか。

さて、第1回のオフ会を4月15日開催致しましたが、第2回オフ会を下記の要領で行います。ご都合がつきましたら是非ご参加ください。お返事をお待ちしています。(第1回オフ会の模様は、ブログ、中高年の「元気が出るページ」はみ出し考・・・http://blog.livedoor.jp/genkimura2/に掲載しましたのでご覧下さい。



日時:平成20年6月13日(金)14時〜17時
会場:ルノアールニュー銀座店 TEL03-3567-3655
    中央区銀座2−8−15共同銀座通りビル2階
   予約は、中高年の「元気が出るページ」村上でとりました。

1、14時〜15時
 「済南の風通信」の執筆者:田端克敏氏と、表紙のイラストの田端道子氏のお話
  <中国での体験談>
  

2、15時〜17時
  10周年についてご意見を聞く会。

会費¥1,200

定員10名(部屋が狭いのでお申し込みは、先着順により定員になり次第閉め切ら      せて頂きますがご了承下さい。こちらから必ずお返事をいたします)

お申し込み先 E-mail: GENKIGADERU@ra2.so-net.ne.jp
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    編集人 村上芳信    
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